第1日 熊本〜阿蘇〜延岡


 熊本空港から放り出された僕は、全く見知らない景色に圧倒されるように3歩だけ進んで立ち止まってしまった。
 一人旅と言っても、たいていは相棒とも言えるクルマで旅をする僕にとって、なにも寄り添うものがなく立たされるというのは、あまり味わったことのない心細さだった。これからどこに向かったらいいのか、誰かが教えてくれるのを期待するように、僕は耳を澄ました。
 飛び去る飛行機のエンジン音がすこしずつ小さくなり、代わりに蝉の鳴き声が聞こえてくる。どこに行っても変わらない夏の声に、僕は少しだけ心を落ち着けることができた。
 天気予報では雨か良くても曇り、ということだったが、熊本は晴れていた。台風が2つ近づいており、予報が難しいのだろう。明日からも雨の予報が出ているが、台風の速度が遅ければ、予報はいい方に外れるかもしれない。
 今回の旅では、南九州を8の字を描くように走る。といっても、結果的に8の字になってしまっただけのことで、できることなら効率よくぐるりと廻りたかった。あちこち寄り道しながら徐々に南下あるいは北上し、たいていは最北端や最南端ときには最西北端と謳っている岬を訪れたらまっすぐ帰路につくというのがいつものパターンだ。今回もそれに合わせようとしたが、ある歌手のライブと重なってしまったため宿が取れず、結果的に8の字に廻るしかなくなってしまったのだった。
 八というと末広がりと言って縁起がいいものだが、8を横にして∞とすればもっと縁起が良さそうな気がするので、「南九州ムゲンダイ」をこの旅のタイトルにした。なにがムゲンダイかと言われると、日程は短いし予算も限られているのでまったくムゲンダイではないのだが、声を大にしてムゲンダイであると宣言したところで顔を真っ赤にして怒られるようなこともないだろうからかまわない。
 いずれにしろ、今の僕にはアシが要る。レンタカーを借りることにした。

 借りた車は、一番安い軽自動車。ターボもついていない、いかにも非力そうなクルマだ。しかし、目をつり上げて旅路を走ってはもったいない。ゆっくりのんびりと走るつもりなので、これでも十分すぎるくらいだった。いちおうカーナビはついているので、道に迷う心配もなく、景色と運転に集中できる。

 まずは阿蘇をめざす。時刻は11時半、朝が早かったので、すでに空腹感を覚えている。
 途中、昼ごはんとして名物の「たかな飯」を食べようと決めていた。たかな飯とは、阿蘇で採れた高菜を炒め、ご飯に混ぜたものだ。なんだか自宅でも簡単に作れそうだが、そこはそれ、いちおう名物ということなので目をつぶるとしよう。正午を少し回り、阿蘇山が大きく見えてくる頃、何件かのレストラン・定食屋が現れ始めた。そのなかで、いい雰囲気の「いなか飯屋」を選んだ。
 店員から渡されたメニューを見ると、たかな飯の他に気になるものがあった。「だご汁」というもので、「たかな飯」ののぼりがある店にはたいてい「だご汁」ののぼりも立っていた。僕は、店員に「だご汁」とは何か聞いてみた。
 いわく、味噌汁だという。「粉を…こう…水で…こねて…丸めて…」だそうだ。よくわからないが、とにかく味噌汁なのだろう。なら、ご飯との相性もいいはず。僕は迷わず「たかな飯」と「だご汁」を注文した。
 それはすぐに運ばれてきた。まあ、どちらも大量に作り置きしておけるものだし、速いのも当然だろう。
 僕は運ばれてきただご汁を見て、ううむと小さく唸った。だご汁は、味噌汁ではなかった。味噌仕立てで具だくさんのすいとんだった。なるほど、小麦粉を水でこねて丸めて味噌汁に入れたらこうなるだろう。店員の説明はあながち間違いではない。が、問題なのはその量だった。予想の(つまりはふつうの味噌汁の)5杯ぶん程度はあった。だって、すいとんなんだから。主食になり得るんだから。僕は、主食のたかな飯と主食の味噌すいとんを食べるはめになってしまった。注文したときに店員がちょっと驚いた顔をしたのはこのためだったのか。言ってくれよ。そういうことは。
 量はさておき、味は良かった。というか、まったく普通の家庭料理で、たぶん自分で作っても同じような味になるだろう。
ところで、レシートには「ダゴジュル」と書いてあった。だご汁を現地では「ダゴジュル」と発音するらしいが、若い店員も「だごじる」と言ってたしなぁ。どうもやっぱり方言的な発音というのは徐々に消えつつあるらしい。

 昼を食べ終わると、そのまま阿蘇山に向かった。
 パノラマラインが阿蘇山を南北に貫いていて、真ん中あたりから火口に向けて有料道路が分岐している。僕は北側からパノラマラインに攻め入り、火口に突撃した後に南阿蘇に離脱する作戦を立てた。約1時間の道のりだ。
 パノラマラインは、最初は森の中を通っており、それほど眺めの良い道路ではなかった。ある程度登ると突然木々が消え、左には緑の山、右には麓の平野を見ることができるようになった。いちばん開けた場所に展望所があり、初めて阿蘇が視界に入った。阿蘇はもうもうと噴煙を上げている。その少し先に行くと道が分かれており、まっすぐ進むと有料道路、曲がれば南阿蘇に向かっている。うっかり曲がり損なうと土産屋および料金所に飛び込む仕掛けとなっている。
 有料道路を登り、火口付近の展望所まで行ったが、風向きのおかげで、それほど硫黄臭くはなかった。もっとも、風向きが悪ければ展望所は立入禁止となってしまう。今日は強い風が逆向きに吹いていたので、時おり火口の底も見えた。火山ガスに注意しろというアナウンスが絶え間なく聞こえてくる。大きな噴火がなくても、常に吹き出している火山ガスが怖いのだ。万一噴火した際には、随所に小石混じりのコンクリートで作られた頑丈そうな避難壕が設けてあるのでそこに逃げこむようになっているのだが、風通しの良さそうなその避難壕では火山ガスはどうも防げそうにない。噴火したらもうおしまいだよ、という終末的な緊張感があるのだが、多くの観光客はあまり気にしていないようだった。
 噴煙と水蒸気は常にごうごうと激しく吹き出しており、阿蘇山が生きていることを実感できた。

 阿蘇山を堪能した僕は、次の目的地、高千穂峡に向かった。本当は高千穂峡に寄るつもりはなかったのだが、なんとなく寄り道がしたくなって予定を変えたのだった。
 なんとなく寄り道、というのには割と自信がある。なんとなく寄り道をしてみると、すばらしい景色に出会うことが多い。以前、北海道で寄り道して見つけた多和平は本当にすばらしかった。
 しかし、この高千穂峡もまたすばらしかった。昼の最も強い日差しがさすがに和らぎはじめたころ、勢いよく流れる渓流と蝉の声が、じいじいざあざあじいじいざあざあ、と四方から僕を取り囲んだ。ふうわりと苔むした岩の向こうに、険しく鋭い峡谷を成す大きな岩がきらりと立っている。蝉の声が僕を圧倒し、しかし冷たい風が僕の正気を取り戻す。見上げると向こうの山に現代風の橋が架かっていたが、それがかえってこの場所の時が止まっているかのような錯覚を引き起こさせた。高千穂峡の水流は激しいが、それは確かに止められた時の中を流れており、しかしおそらく季節だけは1分たりとも立ち止まらずに移ろっている。今は鮮やかな緑で覆われたこの峡谷も、あと数週間もすればすっかり秋の様子になってしまうだろう。僕は、いまこの瞬間に立ち会い、夏の高千穂峡を見送っている。そう思うと、はじける飛沫のひとつひとつまでもがとても愛おしく思えた。

 高千穂峡を後にすると、青雲橋に向かった。今日の宿泊地・延岡までの道の途中、高千穂峡から30分ほどのところにあるので、これは都合がいい。
 この青雲橋というのは、東洋一のアーチと言われている。東洋一、というのはとても曖昧だが、具体的に言うと高さ137m、長さ410mだ。もっとも、この橋が東洋一と呼ばれているのはその高さだけが理由ではない。
 普通、鉄橋というと地面もしくは川面まで柱があり、その上に道路もしくは線路が敷かれ、さらにその上に鉄骨のアーチがあり補強しているという、なんというか実用重視強度抜群の無骨な姿をしている。しかしこの青雲橋は、川をまたぐようにアーチが渡されているだけで、その下に足は無いし、橋の上は真っ平らとなっている。車で渡ってしまえばなんと言うこともないふつうの道路だが、少し離れたところから見ればその美しく力強いアーチがまっすぐな橋面を支えている姿がすばらしい。美しいけれど、谷の間に架けられた橋、というよりも、2つの山をつないだ橋、といった大胆な様子でもある。日本一という言葉にはある程度の安っぽさがあるが、東洋一となると妙な信憑性がある。世界一となるとホラ吹き呼ばわりされかねないから、大変バランスのいいところでこの橋は東洋一と言われている。

 ところで、僕は青雲橋というものをまったく勘違いしていた。青雲橋は高千穂鉄道が通る橋で、その橋を通るとき、列車は速度を落とし乗客に景色を楽しませる。そう思っていた。実際、どこかの鉄道のどこかの橋でそういったことをしていたはずだ。時間があれば、一駅だけ高千穂鉄道に乗り、橋を渡ってみようと考えてもいた。
 しかし、青雲橋を見てみると、どうもなんだか車が走っている。確かにかなり高く立派な鉄橋だが、やっぱり車が走っている。あわててガイドブックを見ると、高千穂鉄道は橋の下、ぜんぜん別のところを通っているらしい。で、青雲橋の下を通るとき、速度を落として乗客に青雲橋を見せるのだそうだ。なるほど、橋から見下ろすと、少し離れたところに鉄道の線路があった。
 とんでもない勘違いだった。
 青雲橋を渡るという目的は達したが、もちろん喜ぶべきことではない。

 がっかりした僕は、少し早かったが延岡に向かった。
 18時過ぎ、ホテルにチェックインしてひとしきり部屋の狭さに驚いたあと、ありえないほど狭い風呂を見て気を失い、目を覚ましてからまだ明るい町に出た。このあたりは、僕の住む千葉に比べて日没が遅い。
 延岡の町は、典型的な現代風の寂れ方をしていた。つまり、コンビニが数件立ち、食料・本・酒はすべてコンビニに集約されてしまい、もともとそれらを扱っていた店はシャッターをおろす。コンビニが扱っていないもの、つまり、パチンコ屋と服屋と居酒屋と薬屋だけがぽつりぽつりと営業している。
 コンビニに食われてしまった町ほど寂しく見えるものはない。すべてが灰色で、パチンコのネオンだけがぎらりぎらりと僕を睨みつけている。
 僕は、逃げるようにホテルに戻った。