☆6日目(釧路湿原)


8/1 曇

 雨が降ったら、引き返せばいい。
 それくらいの気持ちだった。

 天気予報では午後から雨ということだったが、雲は今すぐにでも雨を降らせることができるように体制を整えているようだった。

 そんな中、僕は自転車をこぎ出した。
 雨が降ったら、引き返せばいい。


↑湿原への入り口
 コッタロ湿原を抜けるジャリ道に入ると、そこはやはり走りにくかった。ペダルに力を入れると後輪は簡単に空回りし、思うようにスピードが出ない。のんびり行けばいいか。時間はたっぷりある。
 途中、何台かの乗用車やトラックとすれ違った。そのたび、ものすごい砂埃にのまれてしまう。

↑ジャリ道が続く

↑コッタロ展望台
 程なく、コッタロ湿原の展望台に着いた。ここは展望台と言っても丘の上に木のバルコニーのような場所があるだけで、急な階段で最上部へ行くのはかなりつらい。そのかわりその苦労に見合うだけの景色がある。迷わず、登ることにした。
 湿原の中を、細い川がくねりながら流れて行く。ここにはそれしかない。しかし、それでいいんだ。それがすべてなんだから。
 ここには、ここに必要な物がすべてある。
 僕の日常で、必要な物がすべてそこにあるなんてことがあるだろうか?
 僕は、そんなことを考えていた。
↑コッタロ湿原

 実は、予定ではここで引き返すことになっていた。コッタロ湿原を渡る道を自転車で走る、それだけが目的だった。しかし、展望台があまりにも近かったことが僕に欲を持たせた。
 どうせなら、湿原を一回りしてやろう。
 地図を見て、距離を測る。約70km。平均時速を10km/h前後とすれば7時間、午後3時にはテントのある塘路湖まで戻れるか。先に進むか、引き返すか。
 多少の不安はあったが、僕は先に進むことにした。

↑運が良ければ丹頂鶴も見られる
 そこから先は、さらに走りにくかった。ジャリは大粒になり、しまっていないのでタイヤが左右に振られる。その上、後輪の駆動力が石を蹴るだけで路面に伝わらない。僕はもがくように少しずつ前進していった。しかし、ゆっくり進めばそれだけいろいろな物が見えるし、聞こえてくる。僕は木々の間から湿原を見、鳥の声を聞きながら走った。

 やがてジャリ道は終わり、きれいに舗装された道に変わった。今走っているルートは何度か車で走っているので、地図を見なくても走って行ける。僕は快調に走っていった。
 しかし、しばらくして僕は自分の愚かさに気づいた。
 僕が覚えていたのは、高さの概念がない地図だった。僕は自分の目の前に現れた長い長い坂道に呆然とした。
 否応なしに坂道にさしかかる。ギアを落とし、足への負担を減らす。まっすぐ進むのが難しいほどのスピードになってしまうが、どうしようもない。汗を噴き出し、ドリンクを飲みながらやっと一つの坂を越えた。
 以降、いくつもの坂を上ることになる。

↑展望台からの眺め。あまり良くない
 苦労して、やっと展望台にたどり着いた。ゆでたてのトウキビを食べると、その甘さが全身に染みわたる。足の疲れが気持ちいい。
 展望台に登って、景色を眺めた。が、昨日の多和平の景色が頭にあるので今ひとつ感動が少ない。
 この展望台は、有料の展望台に登るよりも無料の遊歩道の途中にある展望台の方がずっと景色がいい。それはわかっているが、きっと足が持たないから遊歩道へは行かなかった。


自転車専用の道道
 展望台を後にすると、道はずっと下っていて、今まで苦労して登ってきた山を一気に下りてしまった。
 釧路市街まで下りたら、排気ガスを浴びて走らなくちゃならないかな...。そう思っていると、自転車専用の道道があった。気が利いている。その道を行くと、市街地を避けて再び塘路湖の方へ行けるらしいので、そのルートを選んだ。
 誰も追い越さず、すれ違わない寂しい道を延々と走ると、やがて国道に合流した。

寂しい道が続く

 さらにその先、釧路川に沿って行くと、道は近道になるジャリ道と遠回りになる舗装路とに分かれていた。自転車でジャリ道というのはなかなか辛いものだが、「ジャリ道の方が北海道らしい」という理由でジャリ道を行くことにした。
 数キロ走ると、二つの道が交差していて、一方では釧路川を渡る橋を架ける工事をしていた。
 警備員さんに道を尋ねると、きっと話し相手がいなくて退屈していたのだろう、10分もかけて道を説明してくれた。こちらも独り言ばかりで人と話がしたかったので、これはありがたかった。説明によると、まだ、ずっとずっとジャリ道が続くらしい。今さら引き返すわけにも行かないので、進むことにした。

 さらに30分も進んだろうか。警備員さんが教えてくれた目印、水門が見えてきた。そこを右に折れると、国道方面だ。しばらく走ってやっとジャリ道が終わった。
 舗装路がこんなに滑らかだったとは。そんな風に感じた。

メガネが壊れてしまった
 そのとき、突然メガネが落ちた。レンズをフレームに止めているネジが、振動でゆるみ、外れていた。あわてて100mほど戻り、ネジを探してみるが、みつからない。あきらめることにした。それほど視力は悪くないので差し支えはないが、メガネがないと目が疲れてしかたない。

一休み
 気を取り直して走り出すと、まもなく国道に出た。ここまで来れば、あといくつか坂を上れば塘路湖に帰れる。僕は最後の力を振り絞ってペダルを踏んだ。普段の運動不足を思い知らされたが、それでもいくつもの長い坂を上りきった。自分にこれほどのパワーがあるというのは、ちょっとした発見だった。

 塘路湖の直前に、長い下り坂がある。最後が下りというのは、なんだか「よく頑張ったね、ご褒美だ」と言われている気がして、嬉しかった。

 僕は、釧路湿原を一周して、戻ってきた。

 これで、今年の北海道の目的は達成した。とても充実した夏休みを過ごせたと思う。