第2日 延岡〜人吉〜鹿児島


 明け方まで降っていた雨は、着替えている間に止んでしまった。雲はあっと言う間にどこかに流れ去り、強烈な日差しがカーテン越しに部屋を照らしていた。
 延岡を出て、今日は鹿児島に向かう。
 9時に出発してまもなく、土々呂(ととろ)という町に入った。この町にある、土々呂駅に立ち寄ってみることにした。特に何があるわけでもないが、名前がおもしろい。行ってみると、それは無人の小さな駅だった。電車を待つ人が3人、そのうち1人は車に乗っていたからたぶん出迎えだろう。やがて、1時間に1本しかない電車が来ると駅はささやかに賑わったが、電車が去ると元どおりに静まった。そばに立つ一本の木が茂らせた枝葉に身を隠すように、ひっそりとたたずむ駅舎。その姿は通勤以外ではほとんど電車に縁がない僕にとってとても新鮮で、駅を去ってからもしばらくそこで乗り降りする人々のくらしに思いを巡らせた。

 1時間ほど走るとやがて大きな道から逸れ、山に向かった。椎葉、五家荘を抜けて人吉までの、通称「秘境コース」。細い山道を150キロも走り抜ける、かなりきつい道程だ。
 「秘境コース」とはいえいきなり秘境になるわけもなく、はじめは何と言うこともない山道だった。山が深くなってくると共にだんだんと雲行きが怪しくなり、こらえきれなくなった雨粒が、ひとつふたつ落ちてきた。しかし本降りになることはないようだ。
 途中、大斗(おせり)の滝という標識に誘われ、寄り道をした。クルマを停め、流れの激しい渓流の脇を200mほど上流に向かって歩く。
 鉛のような色の雲が、少し背伸びをすれば届きそうなくらい低く、空を覆っている。直射日光とは違う、まとわりつくような暑さが僕の体を締め付ける。絞れば水が出てきそうなほど湿気を帯びた空気を、僕はかき分けるように歩いた。
 蝉の声がやがて渓流のざわめきにかき消され、一歩進むごとにどうどうと滝の落ちる音も聞こえてくるようになった。
 突然視界が開け、そのいちばん奥まったところに三段になった滝が現れた。ゆうべの雨の影響もあるだろう、滝は激しく、だから美しく落ち、滝壺から渓流まで白い飛沫がもうもうと立ちこめていた。
 見上げると、ちょうど雲が少しだけ割れ、そこから滝が落ちてきているように見えた。滝は、一段ごとに右に左に角度を変え、自然の造形とは思えないほど均衡を保った姿でそこにあった。僕は、ほうけたように口を開け、滝を見上げていた。自分のため息で我に返り、やっと引き返す気になった。
 これからの道のりがどれほどのものか、まだわからない。僕は、クルマに戻って先を急いだ。

 諸塚村、西郷村を抜け、椎葉村へと向かった。
 ちょうど昼頃に椎場村に入ると、ぽつりと食事ができる店があった。「平家本陣」という。なんとなくカニ料理専門店のような名前である気がするが、これが実はそば屋だった。手打ちそばが名物だという。そば好きの僕は、ちょうど昼どき、こんな山の中で突然そば屋に巡り会えたことが嬉しくなった。
 店には、ひと組の家族連れと1人の中年男性客がいた。家族連れは楽しそうであり、中年男性客はやや曇りがちにそばをすすっていた。その対比が妙に寂しさを強調していたが、僕もたぶん寂しいひとりぽっちに見えるのかもしれない。僕は、家族連れからなるべく離れ、一番隅のテーブル席に座ってメニューを見た。そば定食600円とあり、ご飯とそばのセットだという。ほんとうは「やきめし」というのも気になったのだが、昨日、セットになっていないだご汁とたかな飯を無理矢理セットにして失敗したので、素直にそば定食を注文した。
 まもなく、そばが来た。漬け物のようなものが添えてあり、そばに入れてください、辛いですから様子を見ながらね、とのことだった。
 そばは、なんと関西風の透明なつゆに浸かっていて、これにはちょっとした衝撃を受けた。だいたいにおいてうどんというのは関東風つゆでも関西風つゆでもお好みでおいしくいただけることはよく知っている。しかし、そばはこう、江戸っ子の心意気というか、醤油の香りとそばの香りの波状攻撃をあらよほらよと小気味よくかわしながら手繰るのが旨いのではないかと思うのだ。
 僕はしかしこれもご当地の味なのだろうなあと納得し、そばをすすった。
 手打ちそばというのは、当然のことだが、そば職人の技がもろに食感に現れる。このそばはコシが無く頼りない、間違いなく予選落ちのそばだ。それが薄い関西風つゆにおぼれていて、哀れなので急いですすってあげようとしたけれどもぷつぷつと細かくちぎれてしまってうまくすすれない。なんだかもう大変かわいそうなそばなのである。
 そのとき目にとまったのが、例の辛い漬け物だ。僕はその一切れを祈るようにつゆに浸し、事態の好転を念じつつそっとかき回してからつゆを飲んでみた。すこしだけつゆがきりりと引き締まった気がしたので、今だっと叫んでから再び力強くそばをすすったが、やる気なさげなそばは引き締まったつゆを再びだらんと萎えさせてしまった。このそばは、ふにゃふにゃなくせをして実はなんとも強力なのだ。
 僕は残った漬け物をご飯に載せ、かき込んだ。これはうまい。辛いものと白いご飯というのはすべてを救ってくれる。少しだけ救われたような気がしたが、騙されているような慰められているような、情けない気分はしばらく晴れることがなかった。
 食べ終わって勘定書を見ると、メニューの一覧が印刷されておりその右側に数量および小計金額、さらに下の方に合計金額が記入してあった。僕が今食べたものは「ぞば」となっていた。名物のはずのそばに誤植があるのは、やはりこの店のそば観というのはこの程度なのかとしんみりしてしまった。

 昼ご飯を食べ終え、少し走ると椎原湖が現れた。湖沿いに走り抜けると、いよいよ道は細くなる。カーナビは、この細い道を案内してはくれなかった。僕は、現在位置だけを頼りに進んだ。
 1時間ほど走ると、山のかなり深いところ、ほとんどクルマの通らないような荒れた道になった。道の端が何ヶ所も崩れており、ガードレールは朽ちたように曲がったまま、人の頭くらいある落石もそのまま放ってある。いくつか集落を通り過ぎたが、人の気配はない。
 わりと大きな川に沿って走って行くと、左から流れてきた細い川と合流していて、細い川の上に橋が架かっていた。その橋のたもとにクルマを停めてエンジンを切ると、水音だけが聞こえてきた。なぜか、蝉の声は遠くの方から微かに聞こえてくるだけだった。大きな川の反対岸には巨大な岩があり、僕にはどうしてもその岩が僕を睨んでいるような気がしてならなかった。
 見上げると、雲の隙間が少しずつ大きくなり始めていた。雲の端はまるでそこにも太陽があるようにぎゅんと激しく光っていて、山はもうすぐ秋だけれどあそこにはまだ夏がある。夏はだんだん薄まって行くのではなく、細かくちぎれながら一切れずつ消えて行くものなのだろうか。
 道の少し先を見てみると、この先土砂崩れのため通行止め、という札が立っている。札には、聞いたことのない地名が書いてあった。地図を見ると、どうやら、途中で道を間違えたらしい。このままでは、全く違う方角に進むどころか、どこまで車で行けるかわからない。僕は引き返した。もし土砂崩れがなかったら、僕はついに間違いに気づかなかったかもしれない。

 ほんの10分ほど戻ると、人吉への細い分岐があった。さっきはこれを見落としてしまったのだった。
 この道を進めば間違いないのだろう。僕は安心して、しかし分かれ道に注意しながら走った。先ほどと大して変わらない道で、端は崩れていたし放置された落石も多かった。3時間ほど、曲がりくねった道を走った。途中、2台ほど車とすれ違ったが、それだけでかなり安心できた。途中、樅木(もみき)吊橋という、わりと有名な吊り橋を訪ねたが、素朴な作りのために多少渡るのが怖いくらいで、わざわざ立ち寄るほどのものでもない気がした。ただ、紅葉の頃は燃える渓谷を渡る橋としてたいそう評判なのだそうだ。

 樅木吊橋以外はほとんど止まらずに走り続けたが、日が傾く前にやっと人吉に着くことができた。しかし、このままでは鹿児島に着くのが21時すぎになってしまう。仕方なく、高速道路を使うことにした。
 高速道路を1時間くらい走ると、いよいよ鹿児島に入った。まだ19時前だったが、高速を降りる前に、桜島サービスエリアで夕食を摂ることにした。
 レストランに入ると、一日限定25食の味噌味グラタンがまだ残っているようだったので注文した。鶏肉がなかなかじわっと旨かった。味噌味というのが感じられなかったのだが、それでもまあ十分に旨かったのだから満足だった。

 鹿児島市内に入ると、そこは大都市だった。さすがに19時を回ると、街の灯りもまぶしい。僕は、さっきまで自分が走っていたあたりの集落を思い出した。あの集落の人はこんな都会の生活を想像するだろうか、この都会に住んでいる人はあの集落のことを考えることがあるだろうか。
 ホテルに荷物を置いた後、朝食の買い出しに街を歩いた。ゆうべの延岡とは違ってにぎやかな街は、安心はするけれども一人で歩くことに寂しさを感じた。この街は海に近いはずだが、海風はまったく感じられず、熱気と湿気が街全体にどよんと横たわっているようだった。僕は早々に部屋に戻ったが、それは湿気に参ったからか寂しさに参ったからか、僕自身にも判らなかった。