第3日 鹿児島〜佐多岬〜宮崎


 朝、ホテルのカーテンを開けるときというのは、妙な緊張感を覚えるものだ。
 良くできた遮光カーテンは、晴れか雨か、それどころか夜が明けているのかさえ、まったく隠してしまう。だから、勢いよくカーテンを開けたときに強い朝日に迎えられると、どうしようもなく嬉しい。
 今日は、フェリーに乗って桜島に向かう。このフェリーは、多いときは10分間隔で24時間運行しているという、海と無縁の生活をしている僕にとってはとんでもないフェリーだった。9時ちょうどにホテルを出て、車でフェリー乗り場に向かうと、乗船受付もないままに船に誘導されてしまった。慌てて誘導している係員に尋ねると、受付などはなく、下船後に料金を払うのだという。有料道路と同じような扱いらしい。なるほど、とりあえず乗せてとりあえず運んで、時間のかかる支払いは下船してから、という効率のいい運用が、10分間隔の運行を実現させているのか。

 フェリーというものはクルマを乗せ、さあみなさんいいですかまもなく出航ですよ、さあさあ船旅のはじまりはじまり...と妙にもったいぶって出発するものだと思っていたが、桜島フェリーはまるで山手線が発車するかのごとく、つまりはまったく自然にひょいと海に出た。
 船上から見上げる桜島は格別だった。桜島は、海の上になんの予告もなく突然ぎゅっと盛り上がっている。頂上は雲と噴煙が混沌とまじりあったものに覆い隠され、やすやすとその姿をあらわにはしない。山肌は活火山らしく、荒々しい造形ではあるけれど、しかし溶岩の上に青あおとした木々が逞しく茂っている。
 僕は、今朝まで鹿児島県民の桜島に対する感情を理解していなかった。なぜ何度も住民を苦しめている桜島を親しみの対象としているのか。おそらく、この姿が、その答えの一つなのだろう。憎めない暴れん坊、といったところだろうか。
 わずか13分で桜島に到着した。上陸すると、しかし桜島は一変して厳しい表情を見せた。
 あちこちに、大きな溶岩の固まりが残されている。なんでもない道ばたに、分厚いコンクリート製のシェルターが用意されている。土石流を制御するための大きな溝を作る工事が続けられている。人々は、島の面積の約一割ほどしかない農耕地でみかんや桜島大根を栽培している。溶岩は一つ一つがとてもおもしろい姿をしているが、これが飛んできたり、真っ赤に溶けて流れてきたのだと思うと鳥肌が立つほどの恐ろしさを感じた。だがしかし、桜島御岳を眺める湯之平展望台に登ると、桜島はまた青々とした木々に埋もれるようにしてでんと佇み、けれど荒々しくしかも穏やかな表情を見せてくれる。実になんとも見るだけで心が弄ばれてしまうような、疲れてしまう山だった。

 ちょうど昼頃に桜島を後にした僕は、九州最南端の佐多岬に向かった。これから佐多岬をぐるりと巡って宮崎まで、270キロも走らなければならない。時間がもったいないのでコンビニでおにぎりを買い、食べながら走った。
 途中、ラジオから雷のノイズが聞こえてきたのだが、一時的に少し雲が多くなっただけで、雨が降ることはなかった。海の向こうにきれいな三角形の開聞岳を眺めながら、ひたすら南に向かった。1時半ほど走ると丘陵地帯に入り、その雰囲気で岬好きの僕はもうすぐ岬だと直感した。
 佐多岬に行くには、自動車専用有料道路「ロードパーク」を通る必要がある。ちなみに、自転車で旅する人はここを通ることができない。別の道から、こっそりと忍び込むのだそうだ。ともかく、佐多岬はあまり評判の良くない岬ではある。
 料金所に来た僕は、おそらくこの旅でいちばん驚いた。料金が、千円だという。岬まで行くのに必ず通らなければいけない道を、千円払わないと通してもらいないのだという。こういうときはたいてい憤慨するものだが、今回はなによりももう、その料金設定に驚くばかりで怒ることも忘れてしまった。仕方なく千円を支払い、ロードパーク様に入園させていただいた。
 曲がりくねった道を15分ほども走ると駐車場にたどりついたが、さてどこが岬なのかわからない。しばらく歩き回ると、トンネルがあり、そこが岬への道の入り口だということがわかった。つまり、ここはまだ最南端ではない。
 仕方なく僕はトンネルに向かった。そこで、僕はあり得ないものを見た。見学料100円、と書いてある。ここまでの道で千円も取っておきながら、さらに100円払え、と言っている。さすがに今回は憤慨した。しかし、憤慨したところでどうなるものでもなく、僕は仕方なく100円を払った。なんだか、さっきから仕方なく仕方なくとばかり言っている気がするが、仕方ない。
 トンネルを抜けると、そこは岬であった。となればまあなんと言うこともない話なのだが、さすが最南端ともなるとそうありきたりではない。トンネルを抜けると広場があり、そこから彼方に見える展望台まで歩いて行け、ということになっている。山道を、まず思い切って降り、さらに降りたぶんだけ登って、そのうえもうちょっと登らなければならない。あそこまで行くのか?
 ここまで、合計1100円も払っている。一人なので、割り勘とかそういうこともない。1100円も払って、ここで引き返す勇気は僕にはなかった。僕は(また)仕方なく歩き始めた。
 ここは、ソテツが自生している、数少ない場所だ。ガジュマルとソテツがせめぎ合うように密生している山の中を、僕は汗だくになって降り、登り、降り、登った。もちろん、熱帯の湿度と強烈な日光のおかげですぐに汗だくになってしまう。時おり、強い風が木々を揺する。ざざざぁっという音が僕の背後から近づく。僕は目に見えない圧力を感じて、とっさに振り返る。瞬間、風がこちらに向かってくるのが見え、あっというまに僕を追い越す。僕は数秒の間、全身に風を受けて息ができなくなる。僕はなんだか恐ろしくなり、ほんの一瞬、逡巡する。僕は逃げ場のない深い森の中に迷い込んでしまったのではないか?
 さんざん苦労したが、20分ほど歩いてなんとか展望台にたどり着くことができた。たどり着きはしたが、展望台入り口から展望台までは螺旋階段を登らなければならない。僕は(これが最後だといいのだが)仕方なく階段を上った。ありがたいことに、階段を上るのは無料だった。
 展望台からの景色は、格別だった。海と山が、窓越しに存分に堪能できた。窓は数カ所開けてあり、岬の強い風をいっぱいに浴びることができた。汗が、みるみる乾いてゆく。僕は今来た道を探したが、みつからなかった。ソテツとガジュマルに阻まれて、道は見えない。
別の方角の窓からは、灯台が見えた。…灯台?佐多岬灯台?とすると、ここは…。
 この展望台は、「佐多岬を展望する台」で、「佐多岬から展望する台」ではなかった。佐多岬には、灯台の管理人以外、一般の人は行けないらしい。もっとも、実際に先っぽまで行けない岬は多い。ただ、佐多岬は(経済的、肉体的に)とても苦労したぶんだけ、それが報われていないような気がした。
 ともあれ、最南端に来たことは間違いない。僕は、(ああ、まただ)仕方なく帰途についた。

 佐多岬に費やした時間は、約1時間。予定ではちょっと見てすぐ帰るはずだったので、1時間のロスとなった。あえてロスと言おう。
 あとは、200キロ北上し、宮崎のホテルに向かう。途中、日南海岸を走り、「鬼の洗濯板」を見物する予定だった。このぶんだと、明るいうちに鬼の洗濯板までたどりつけるかどうかわからない。ともかく、急ぐことにした。

 いくつかの町を抜けたころ、だいぶ腹がへってきた。すると、ちょうどいいタイミングで日本一のたい焼を見つけた。べつに無条件でほめているわけではなく、「日本一のたい焼」という店なのだった。今の腹の空き具合に、たい焼きはちょうどいい。さっそく店に入ると、黒あん白あん各140円とあった。さすが日本一となるとクリームやらチョコやらといったゲテモノは扱っていないのだ。ちょっと高い気もするが、僕は白黒1匹ずつ買った。
 昼に続き、おやつも走りながらとなった。しかしこのたい焼きはさすが日本一、ごく薄い皮がかりっと香ばしく焼かれていて、少しもふやけた感じがしない。そこにあんこがこれでもかこれでもかと、しかしふんわりとやさしく詰め込まれている。鯛はその横腹を健康的にぷうと膨らませ、すこし力を入れるともりもりとあんこが溢れそうになる。よくたい焼きのほめ言葉としてしっぽまであんこが詰まっているなどと言うことがあるが、ここのたい焼きは極限まであんこが詰まっていてこれがもう文句の一つも挟む隙間がない。旨い旨いとたちまち2つを平らげてしまった。

 たい焼きの余韻に浸っているうちに、日南海岸に出た。たい焼き2つで100キロほど走破したのだから安いものである。もうだいぶ日は傾いており、ときおりフェニックスの木が立っているけれど、期待していたような南国らしさをその海に感じることはできなかった。
 やがて、もうすぐ19時になろうかというころ、鬼の洗濯板のあたりにさしかかった。鬼の洗濯板というのは、岩がまさに洗濯板のようにいくつもの筋状に浸食されて横たわっているもので、これが海岸にあるものだから確かに鬼が洗濯するのに都合が良さそうなのでこう呼ばれている。うっかり見落としそうなくらいさりげない所だったので、僕は慌てて車を道ばたに停めることになった。車窓から眺めると、潮がやや満ちて、洗濯板の溝にあたる部分が水没しており、あまり洗濯板らしくなかった。しかし、せっかくなので、写真を撮ろうと車を降り、道を渡って洗濯板に近づいた。
 そのとき。
 夕焼けが、洗濯板の溝にたまった水に反射し、洗濯板全体が真っ赤に輝いた。空には、あたりの薄暗さが信じられないくらい赤く明るい夕焼けを背負った大きな雲が逆光気味に浮き上がっている。小さな波がいくつか寄せたけれど、この景色を壊してしまうことを恐れているようにすぐに静かに引いてしまう。僕は息をのんだ。カメラを構えていたが、指が動かない。まるで金縛りにあったように、陽の傾きと雲の流れで一瞬ごとに移り変わる夕焼けに照らされる洗濯板をただ眺めていた。
 我に返った僕は何度かシャッターを切ったけれど、いちばん美しかった瞬間は逃してしまった。この夕焼けに僕は、去年の暮れ、カナダで見たオーロラに勝るくらいの感動を覚えた。
 佐多岬で、もう10分早く切り上げていたら。ここに向かう道を、もう少し急いでいたら。あるいは、開き直ってゆっくり走っていたら。この景色は、見ることができなかっただろう。僕は、素直に幸運に感謝した。
 まだ少し夕焼けが残る空の下を、僕は宮崎に向けて走り出した。夕焼けのシルエットになったものは、何もかもが美しい。電柱、歩道橋、小さなビル、何もかも。僕は、普段はまったく気にも止めないそれらの美しい姿を楽しみながら、ホテルへと向かった。

 明日は最後の日、いつものことだが、最後の夜は例えようもなく寂しい気持ちになる。いろいろな条件がそろえば、1ヶ月でも2ヶ月でも旅をしていたいのだ。