肉とビールの大ドイツ

第9話 5日目
やれやれ仕方ない、と最も高いワインを注文する


 5日目、9月20日の朝を迎えた。
 深夜、壁に飾られた自画像の人物がギロリとこちらを見たり、廊下をガシャンガシャンと甲冑が歩くということもなく、城での一晩はなんということもなく過ぎ去った。その日の朝、外は霧が深く、城のすぐそばを流れる川と、その向こうに少しだけ街が見えるだけだった。あの街からは、この城が霧の中にぼうっと浮かんで幻想的に見えるのだろうか、と思うけれど、たぶんあそこに住む人たちはもう見慣れてしまっているんだろうなあ。
 レストランで朝食を摂る。ドイツのホテルは基本的に朝ご飯がついているので助かる。そしてパンとチーズとハムがどのホテルでもこれでもかと言うほど旨い。ただ野菜がトマトとキュウリしかないのはどうにかならないものか。どこに行っても野菜というとトマトとキュウリだけなのだ。チーズとハムには合うのだけどたまにはニンジンとかブロッコリーとかレタスとかキャベツの千切りが食べたい。でもやっぱり今日もそしてたぶん明日も明後日もトマトとキュウリなのだ。
 少しの時間、場内を散策した後、ヒルシュホルン城をチェックアウトし、さあどこへ行こうか…と思ったけれど、少し引き返してハイデルベルク城に行くことにした。古城街道とはいえ、外から見るだけの城がほとんどで、中に入れるところはそんなに多くない。ハイデルベルク城は観光地化していて古城の哀愁はないけれど是非立ち寄りたい見所の一つだ。
 城下町の駐車場に車を止め、ケーブルカー乗り場に向かう。乗り場は観光客でごった返していた。そういえば今日は日曜だったな…と、僕は普段がどのくらい混むのかを知らないくせに納得した。早くチケットを買ってケーブルカーに乗らなければ…と券売機に向かうと、券売機が使えなくなっている。あれあれこれはどうしたことか、と反対側にある窓口に行くと、今日は無料なのだと0.00ユーロと印刷された切符を手渡してくれた。タダなら切符など渡さずにジャンジャン乗せればいいじゃないか、と思うのだけれど、例え無料でも乗車の際には乗車券が必要なのだ!と考えるのがドイツ人なのかもしれない。僕はまた、何の確証もないのにドイツ人のことを一つ知ったような気分になって満足げに頷いた。
 ケーブルカーで頂上に着いたが、その先は有料だそうだ。普段は6ユーロ(780円)だけど今日は4ユーロ(520円)でいいよ!とのことだった。しかし、ケーブルカーが無料だというのでそうかそうか今日は無料なのだなと思い登ってみると上では料金を徴収するのだ。何と言う狡猾な罠。僕はぐぬぬと唸ったがどうにもならず、おとなしく料金を支払ったのだった。
 いくつかの見所を押さえ、土産売り場を覗いた後、どうもパッとしないねえ、と城を出ることにした。と時計を見てみるともう13時過ぎじゃないか。1時間半も経っている。どうもパッとしないくせにずいぶん長居をしてしまった。僕らは慌ててケーブルカーに飛び込み、麓に降りた。早くお昼ご飯を食べないといけない。旅先での昼ごはんの遅れはそのまま晩ごはんの遅れに繋がり、取り返しのつかないことになるのだ。
 ハイデルベルク城はさすがに有名な観光地で、食べ物にも困らない。手近なところにケバブ屋を見つけ、そこで済ませることにした。
 食べ終わるとなんだもう14時半じゃないか。駐車場から車を出し、再び東へ、ビュルツブルグへ向かう。
 途中、いくつもの古城を通り過ぎる。ウンザリするくらい古城があるのだ。もう城など珍しくもなんともない。それでも走りっぱなしではやはりつまらないよね…と、バートウィンプフェンという街に寄る。ここには青塔と呼ばれる古い塔があり、そこからの長めは素晴らしいものだという。
 着いてみるとそこはドイツらしく木組みの家が並ぶ街で、しばらく歩くと青塔があった。しかしそれは特に青いわけではない。材木と鉄筋でがっしりと補強され、それがなかったらガラガラと崩れてしまいそうだ。なにせ西暦1200年に建てられたものだそうで、立っているだけでも奇跡なのだ。
 塔に登るのは有料だという。とはいえ1.5ユーロ(195円)なので躊躇することなく階段を登り始めるが、入口に料金所のようなものはなかった。しめしめこれはタダで登れるぞ…とニヤニヤしているとてっぺん付近で窓口がありそこでキッチリと3ユーロ(390円)徴収されてしまった。ハイデルベルク城でもそうだったけれど、タダかと思わせておいて登らせ、今さら引き返せないというところで料金を徴収するのがドイツの常套手段なのだ。なんと卑劣なことか。しかし後で調べてみると、この青塔は見張り塔であり、西暦1200年からずっと番人が住んでおり、つまりはその番人が料金所の係も兼ねているわけで、てっぺん付近で料金を徴収するというのは当然のことなのだった。
 青塔からの眺めはたしかに素晴らしく、どこまでも平らなドイツ、森と川の国ドイツ…といった雰囲気だった。
 午後6時半頃、ビュルツブルグに到着。地図によるとこのあたりに予約しておいたニヒトラウフェホテルがあるはず…とあたりを見回すが、見つからない。仕方なく車を道ばたに駐め、歩いて探すことにする。何台かの車に交じって、路面電車が細い道をガタゴトと通り過ぎた。やはりホテルは見つからず、たまたま歩いて来た2人組の女性に尋ねることにした。すいませんがニヒトラウフェホテルというのはどこでしょう、と聞くと、2人はそろって僕の背後を指さしたのだった。ホテルには大きな看板はなく、昔からあるような小さな吊り下げ式の看板があるだけだったので気づかなかったのだ。僕はこれは灯台もと暗しというやつですなあタハハと笑いつつダンケシェンダンケシェンと礼を言って車に戻ったのだった。
 しかし今度は駐車場の場所がわからない。フロントに聞こうとホテルの入口に行ったが、鍵がかかっている。ドイツはいろいろとハードルが高く、とにかくあちこちで何かしらに阻まれるのだ。インターホンでフロントを呼び出し、駐車場の場所が知りたいのだというとフロントまで来いと言って鍵が開いた。ドアを開け、階段を登るとまずは駐車場の地図を手に入れることができた。まるでRPGのように住人から情報を得て謎を解き少しずつ話が進む。よし駐車場の位置はわかった、と颯爽と車に戻ったが、地図を見てみると一方通行が多く駐車場までは街をぐるりと回ってこないといけないのだった。ああもうわかったわかったと走り出し、予想外に大きな道に出たところで交差点を曲がり損ね、引き返すこともできずに川を渡ってしまい、やっと車を転回してもう一度川を渡り、そうしてやっと駐車場のある細い路地に入り、駐車場に辿り着いたのだった。
 建物は古そうだけれど、部屋は広くてきれいだ。チェックインして30分ほど休憩したあと、ビュルツブルグの街を散策しつつ、晩ごはんを食べるためにレストランに向かう。自家製ワインがウリのユリウスシュピタールという店で、これもまたツマがあらかじめ決めていたものだ。
 予約はしていなかったが、席は空いていた。店内の雰囲気は良く、気取ってはいないが品がある。さて今日も移動で疲れた、まずはビールを一杯…とメニューを見るが、ワイン以外は一切載っていなかった。やれやれ仕方ない、と最も高いワインを注文する。最も高いと言っても、自家製ワインで中間マージン輸送費等々が不要なため、グラスで5.6ユーロ(728円)と手頃な価格だ。そしてこれがまた旨い。今さらながら僕は、ドイツはワインも旨いのだ!と立ち上がって叫んだ。
 ドイツの習慣に倣って、ワインを飲みながらゆっくりと食べるものを決める。とはいえお腹がすいているので、すぐにポークメダリオン19.9ユーロ(2587円)とサラダ4.5ユーロ(585円)を一皿ずつ注文した。ポークメダリオンは、豚肉をメダルのように丸く整形し、ベーコンを側面に巻いて焼いたものだ。それに焼いたポテトとブラウンマッシュルームが山のように載っており、そもそもこれが1人前だというのが信じられない。1皿を2人で分けてちょうどいいくらいだ。
 僕らは旨い旨いと肉を食い、もう一杯ワインを飲んだ。何を食べても何を飲んでも旨い。ドイツというのは実は美食美飲の国なのだ。人通りの少ないビュルツブルグの街を散策しながら、今日もいい気分でホテルに戻ったのだった。


もくじ
第 1話 1日目@ 松戸駅からバスで帰ってくるのとは訳が違うのだぞ
第 2話 1日目A イメージ的にそういう音がした方が格好いいのだ
第 3話 1日目B あなたが生まれ育ったマインツは雨が降って最悪な街ですね
第 4話 2日目@ なんだかんだと言い訳をしてビールを飲まないつもりなのだ
第 5話 2日目A 特にそのためにドイツに来たわけではないですよ
第 6話 3日目@ 文句があるなら理事長も一度食べてごらんなさい
第 7話 3日目A 隣にアジア人が座っていても動じないのだ
第 8話 4日目  スパーンと抜かれたりするのだった
第 9話 5日目  やれやれ仕方ない、と最も高いワインを注文する
第10話 6日目  恐ろしいからその店には行かない!
第11話 7日目  あらまあロマンチックねえと言いたくなる気持ちはわかる
第12話 8日目  たぶん5〜6人は薙ぎ倒せるんじゃないだろうか
第13話 最終日  あなたが表示されたので大変困っています