第7日 価値

層雲峡〜札幌〜室蘭〜フェリー(513km)
旅に出ると、どうしても贅沢になってしまう。 かさりかさりと、枯葉がテントに降り落ちる。 こんなに穏やかな目覚めは、久しぶりだ。 ゆうべは暗くて見えなかったが、 層雲峡の秋は深まっていた。 テントをたたみながら、あたりを見回す。 息は白いけれど、暖かみのある風景。 枯葉が舞うけれど、さりげなく賑やかな風景。 少し気取った、最後にふさわしい、朝。 左右に紅葉を見ながら、 峠の道を走る。 色とりどりの木々、白い岩肌。 圧倒的な金色の森で、 僕は迷ったふりをして、 道をはずれてみた。 細い砂利道を登りながら、 僕はときどき振り返る。 いま来た道がそこにあることを、 確認しておきたかった。 どれくらい登っただろうか、 ふいに、目の前に2頭の鹿が現れ、逃げていった。 ここは、彼らの場所だ。僕の場所ではない。 僕は、引き返した。 もとの道に戻ってラジオをつけると、 強い余震があったことが告げられていた。 一瞬、今夜の船のことが気にかかるが、 僕の目はすぐに紅葉に奪われてしまう。 どうにもならないことを、 どうにかする必要はない。 層雲峡の先の上士幌に着いた。 ここからは海側へ出てしまえば早いが、 強い余震があれば、 道路が通行止めになるかもしれない。 僕は、夕張経由で札幌に行き、 札幌で時間を調整してから、 出航時刻に合わせて港に向かうことにした。 札幌へと続く日勝峠はとても濃い霧に覆われていて、 自分が進んでいるのかどうかもわからなかった。 霧が晴れれば激しい雨が視界を奪い、 雷鳴が何度も轟いた。 僕は必死に走り続けた。 ラジオは、雷のノイズに混じって、 余震が続いていることを伝えている。 港の火災は、今も続いているらしい。 このまま世界が終わってしまうかのような緊迫感から救ってくれたのは、 ソフトクリームの看板だった。 僕は、久しぶりに味わう強烈な甘さに陶酔しながら、 地図を広げた。 札幌までは、あと少しだ。 札幌に着いたら車を休ませ、 僕は街を歩こう。 人々の日常に紛れ込み、 特別でない時間を過ごそう。 1年半ぶりに訪れる札幌は、 季節が違っていたこともあって、 まったく気取りのないふつうの街だった。 僕は、ほど良い安堵感とほんの少しの空虚感を覚えながら、 街を歩いた。 ふと、気になっていた出航時刻のことを思い出し、 港に電話をした。 例の火災の影響で、苫小牧港は使えないという。 出発港は室蘭に変更され、 0時までに乗船手続きをしてほしいという。 札幌から室蘭までは100kmほどある。 それは、疲れ切っていた僕にとって、 果てしなく遠い距離に思えた。 僕と相棒の休息は終わった。 僕は、あわただしく札幌を発った。 室蘭へは、苫小牧を通って行く。 苫小牧に着く頃、 僕は強い眠気に襲われていた。 しかし、火災の異臭が僕の眠気を消してくれる。 苫小牧を過ぎると、 細くて暗くてまっすぐで退屈な道が続く。 僕は、眠気を振り払いながら、 時間に追われて走り続けた。 室蘭港に着いたのは0時より20分も早かったが、 すでに車の搬入は終わろうとしていた。 僕はすぐに手続きを済ませ、 ぎりぎりで船に滑り込むと、 しばらくの間ハンドルを握ったまま、 最後の道のりと同じくらい長いため息をついた。 あとは、船に任せればいい。 楽だけれど、 とても楽だけれど、なんとなく物足りないのは、 僕が、 贅沢になってしまったからだろう。                     2003/09/30 「さんふらわあ みと」船上にて