肉とビールの大ドイツ

第8話 4日目
スパーンと抜かれたりするのだった


 4日目、9月19日。
 いよいよ今日からは、本格的にレンタカーでの移動を始める。まずはレストランで朝食をとるが、ここは白を基調とした明るいレストランだった。パンもハムもチーズもベーコンも、何もかもが旨い。ただ、野菜はやはりトマトとキュウリしかないのだった。
 チェックアウトまではまだ時間があったので、ケルンを去る前にともう一度大聖堂を見に行った。2日目であるにも関わらずやはり鳥肌が立ったので、何日目くらいから鳥肌が立たなくなるのだろう、と検証してみたくなったが、そんな余裕はない。惜しいけれど大聖堂を去った。さてそろそろホテルに戻りチェックアウトを…と思ったが、ツマがある店に行きたいと言いだした。4711という変わった名の店で、オーデコロンの元祖だそうだ。オーデコロンのコロンとはCologne、つまりケルンのことで、ケルンに寄ったら必ず買いたい、とどのガイドブックにも必ず書いてある。ツマは普段オーデコロンなど使わないけれど、必ず買いたいというガイドブックの強い希望をかなえなければならぬ、と僕を引っ張ってその店に向かった。
 その店は思ったよりも小さな店で、2階、というかロフトのようなところがちょっとした博物館になっている。ツマはお土産にと小さなオーデコロンのセットと布製のバッグを買ったようだった。
 それにしても4711とは変わった店名だ。日本語ではヨンナナイチイチと読むけれど、ドイツ語ではどう読むんだろう…と店員に聞いてみたが、店員は、昔、番地を振られたのだけれどその番号が店名になったのだ、と日本語のパンフレットを差し出しながら答えた。いやそういうことじゃなく発音を聞きたいのだ、と思ったけれどどうせ覚えられないし、諦めた。店員がアレがその時の様子なのよ、と指さす方向を見ると、壁に大きな絵が掛かっている。なるほど、馬に乗った役人もしくは軍人が、店の壁に4711と書いている。するとそれまでの店名は何だったのだろう…と少々疑問に思ったけれど、それほど興味もないのでそれは今でもわからないままだ。
 大聖堂を見て、名物のオーデコロンを買った僕らは、もう少しケルンの街を見てみたいけれどケルンというのは大聖堂とオーデコロンしかないのだ、という大方の意見に従って、次の街へと向かうことにした。
 今夜の宿は、ドイツならではの古城ホテル、ヒルシュホルン城を予約してある。古い城を改修し、ホテルとして使っているのだ。ケルンからヒルシュホルンまでは300km弱。少し距離があるけれど、ドイツの道は走りやすいと聞く。多少寄り道をしても、夕方には着けるだろう。
 10時ギリギリにチェックアウトし、車を出す。まっすぐヒルシュホルンに向かうのではなく、ケルンから車で30分ほどのところにある世界遺産、シュロス・アウグトゥスブルグに寄ることにした。ここはシュロス、つまり居住を目的とした城で、戦の香りはまったくしない。見た目は城と言うより宮殿だ。1984年に世界遺産に登録されたが、その後10年間、ドイツ大統領が国賓を迎えるのに使われたそうだ。はてドイツにはメルケルという首相がいたのではないかなという方のために書き添えると、ドイツには大統領と首相がいる。首相がいちばんエライ人ではないのだ。
 ここでは、公開されている館内を勝手に歩き回るのではなく、館内ガイドツアーに参加するしかないとのこと。ガイドツアーはドイツ語だけれど、日本語のオーディオガイドも貸し出してくれるので安心して参加できる。入館料は8ユーロ(1040円)と、さすが世界遺産、少し高い。
 11時40分から始まったガイドツアーは、ドイツ人ガイドに20人ほどの客がぞろぞろとついて行く。ガイドがドイツ語で各部屋の説明をしている間、僕ら外国人客は部屋の入口に示された番号をオーディオガイドに入力し、その音声を聞いている。しかし、オーディオガイドが終わってしまっても、まだドイツ人ガイドはなんだかずいぶん熱のこもった様子でしゃべり続けているのだった。館内が撮影できればあちらこちらの写真を撮ったりもできるのだけれど、窓から庭を撮影する以外は禁止されているし、勝手に先に進むこともできない。仕方がないのでもう一度同じ音声を聞いて時間を潰すしかなかった。そんな状態が続き、ガイドツアーは1時間半を費やしてやっと終わったのだった。その後、宮殿の庭を少し見て、腹が減ったなとおもうともう13時半になろうとしていた。
 旅先では昼食をとるのが遅くなりがちだけれど、実はこれは致命傷になりかねない。ちょっとタイミングを逃すと昼ごはんを食べ損ない、変な時間に軽めのものを食べようと思ってもちょうどいいものが見つからず結局重めのものを食べることになり、晩ごはんまでにお腹がすかないという事態を招くのだ。そんなわけでちょっと焦りつつ、アウトバーンA61号線に乗ればサービスエリア的なものがあるはず、と今夜の宿ヒルシュホルンに向かった。
 一般的に、アウトバーンは速度無制限であるということで有名だけれど、現在はそうではない。都市部に近いところでは120キロ制限がかかっていたり、工事中の区間では60キロ程度に抑えられていたりする。そして皆びっくりするほどキッチリと制限速度を遵守しているのが素晴らしい。もちろん速度無制限の箇所もあり、そういった所ではこちらが時速170キロで走っているというのにスパーンと抜かれたりするのだった。
 14時を少し過ぎた頃、サービスエリアを発見し、立ち寄って軽い昼食を済ませる。その後はたいした観光スポットもなく、カーナビに従って山間の小さな村でなんだなんだこんな何でもない村にアジア人が来たぞ…と指を指されつつ、ヒルシュホルン城に着いたのだった。
 この城は、古城を改装してホテルに仕立てたもので、いまにも崩れそうな城壁に囲まれていて、いやこれは本当に泊まれるのだろうか、実は何百年も誰も住んでおらず蜘蛛の巣だらけなのではないだろうか…と心配になる。車を駐め、城門をくぐるったものの、もともと人を歓迎する建物ではないので、受付がどこにあるかわからない。ウロウロしているとホテルのスタッフと思える男が階段を下りてきたので、受付はどこかと聞くと案内してくれた。彼はせっかく降りてきたばかりの階段をヒィヒィハァハァとその巨体を引きずるように登る。なんだかたいへん申し訳ない。
 建物の中に入ると、内部は完璧にリフォームされており、古さはみじんも感じられない。廊下の壁は白く、奥にはエレベーターもある。僕らは3階の自分の部屋に荷物を置き、晩ごはんまではまだ少し時間があるからと城の敷地内を散歩することにした。
 かつては見張りに使ったのであろう、石造りの塔に登る。高さは20mくらいだろうか、レンガではなく、大小さまざま、いい加減な大きさに切り分けられた石をうまいこと積み重ね、漆喰で繋げてあるようだ。いい加減に積み重ねてあるように見えて、石と石の間の隙間はどこもほぼ均等で、壁面や角はまっすぐ平らになっているのだから面白い。
 その塔以外はあまり見所もなく、19時を回ったのでレストランに行った。
 ヒルシュホルンの名が付いた肉入りサラダと、チーズソースのシュニッツェルを注文。1人1皿は多すぎるから、と2人で1皿をシェアしたけれど、ちょうどシュニッツェルは1皿に2枚載っていた。もともとそういうものなのか、わざわざ2枚に分けてくれたのかはわからない。ツマもやっとワインを諦めたらしくビールを注文した。ビールも旨い、肉も旨い、そしてお前もか!と言いたくなるほどサラダもスパイスが効いていて旨かった。ドイツに来てから何を食べても旨いのだ。
 部屋に戻ると外はすでに暗く、見下ろす街にはポツポツと明かりが灯っていた。ヒルシュホルンの夜は風の音も聞こえないほどに静かだった。


もくじ
第 1話 1日目@ 松戸駅からバスで帰ってくるのとは訳が違うのだぞ
第 2話 1日目A イメージ的にそういう音がした方が格好いいのだ
第 3話 1日目B あなたが生まれ育ったマインツは雨が降って最悪な街ですね
第 4話 2日目@ なんだかんだと言い訳をしてビールを飲まないつもりなのだ
第 5話 2日目A 特にそのためにドイツに来たわけではないですよ
第 6話 3日目@ 文句があるなら理事長も一度食べてごらんなさい
第 7話 3日目A 隣にアジア人が座っていても動じないのだ
第 8話 4日目  スパーンと抜かれたりするのだった
第 9話 5日目  やれやれ仕方ない、と最も高いワインを注文する
第10話 6日目  恐ろしいからその店には行かない!
第11話 7日目  あらまあロマンチックねえと言いたくなる気持ちはわかる
第12話 8日目  たぶん5〜6人は薙ぎ倒せるんじゃないだろうか
第13話 最終日  あなたが表示されたので大変困っています