肉とビールの大ドイツ

第12話 8日目
たぶん5〜6人は薙ぎ倒せるんじゃないだろうか


 8日目の9月23日、オクトーバーフェスト!
 お台場や日比谷で時々やってるあのチンケなドイツごっこではなく、ましてや年に一度、北総線矢切駅前のロータリーで聞いたこともない歌手の歌謡ショーやひっそりと活動しているご当地アイドル、または地元のダンスグループなどを呼んで開催される矢切ビール祭りでもない、本当の本物の、ビールを飲みたい一心で世界中から酔っ払い、いや会場に着くまではまだ全員は酔っ払っていないだろうけれど、とにかく世界中から600万人が集まり700万リットルのビールを飲み干す世界最大のビール祭、オクトーバーフェスト! ついにそのオクトーバーフェストに行く日が来た。
 夜が明けると僕はいてもたってもいられず、朝ご飯は液体のパンで済ませるのだ!と意気揚々とホテルを出た。地下鉄に乗り、会場へ向かう。電車内には、オクトーバーフェストに向かうのだろう、伝統の衣装をまとった男たちがいる。彼らは今日をどんなに待ちわびたことだろう、僕なんかはビールの神様のいたずらでなんだか急に来ることになってしまったけれど、彼らは両手両足の指を折り数えながら今日を待っていたんだろうなあ。
 会場は広く、巨大なテントがいくつも並んでいる。それぞれが1つの店になっていて、人気のある店は予約でいっぱいになってしまうらしい。僕らは予約などしておらず、どこがどんな店なのかもよくわからないので、とりあえず手近なテントに入っていった。
 中は広く、数え切れないほどのテーブルがあり、予約席もあるが自由に座れる席も用意されている。また、15時以降は予約が入っているけれどそれまでは自由に使っていいよ、という席もある。空いている席に座ると、店員が注文を取りに来た。まずはビールビール!ビールをちょうだい!というとすかさずビールが届く。あたりまえだ、ここには誰もかもがビールを飲みに来ているのだから「いやまさか今ビールを注文されるとは!」などと慌てふためくことがないのだ。ところでこのビールは前述したとおり1リットルのジョッキで提供される。アタシきょうはアンニュイな気分だから小さいグラスでチビリチビリ…なんて甘えは許されず、とにかく1リットルでドデンと来るのだ。うへえこんなに飲めるかなあなどという心配は一切不要、とにかく旨いビールはあっという間に飲み干せてしまう。
 と同時に、売り子がプレッツェルを持って歩いてくる。これは注文して持って来てもらうのではなく、徘徊している店員から直接買うのだ。5.1ユーロ(663円)は少し高い…とは全く思わない。なにしろこのプレッツェルはとても大きくてとてもしょっぱくて、とてもとても旨いのだ。いや旨いのではなく、うまーい!のだ。さらに注文しておいたミュンヘン名物の白ウインナー、ヴァイスヴルストとザワークラウトが届く。ヴァイスヴルストは縦半分に切って皮を残して食べる。これはふんわりとやわらかく、ドイツ料理というとガッシリした肉を食うようなイメージがあったけれど、完全に覆されてしまった。ザワークラウトは、僕らがいつも家でやっているように松戸駅のカルディで買ってきたものを瓶から出してそのまま…というのではなく、粒マスタードを絡めて軽く炒めてある。当然のように、どちらも旨い。いや、違う。うまーい!のだ。すかさず2リットル目のビールを注文する。オクトーバーフェストでは、店を構えている各醸造所がオクトーバーフェスト専用のビールのみを用意しており、「1つちょうだい!」というとビールの種類を聞かれることもなくドデンとジョッキが置かれるのだった。
 旨いビールと食べものに満足したところで店を出る。朝と比べると、ずいぶんと人が増えている。会場の一角には移動遊園地が来ており、せっかくだからと観覧車に乗ることにした。観覧車は小さいけれどずいぶん高速に回転しており、これじゃああっという間に終わってしまうなあと見ていると、1回乗車すると5周くらいぐるんぐるんと回るので楽しそうなのだ。乗ってみると、早い観覧車というのは思った以上に楽しい。あるマンガで、観覧車というのはゆっくりと空を横切る乗り物だ…としみじみ語っていたけれど、高速でぐるんぐるんと回った方が断然楽しいので日本の観覧車もすべてこの方式にしていただきたい。
 気がつくと、もう午後2時を回っている。僕らは、まだちょっと飲み足りないような気はしていたけれど、会場を後にして次の目的地に向かったのだった。
 次の目的地は、ドイツ博物館だ。ライン川下り、オクトーバーフェストと並ぶ、今回の旅の三大クライマックスのうちの大トリで、実際はここがいちばん楽しみだったかもしれない。どうしても実物を見てみたかったアレが展示されているのだ。
 入館し、自分をじらすようにゆっくりと各種展示物を見たあと、とうとう僕はそのエリアに足を踏み入れた。
 そこには第二次世界大戦中に開発された2機の戦闘機が展示されていた。一つは、世界初のジェット戦闘機、メッサーシュミットMe262。スマートな機体が美しく、これが全力で空を駆けている姿を想像すると胸が熱くなる。もう一つは、これもまた世界初、というか飛行機が発明されてから現代に至るまでの歴史の中で数えるほどしか例がないロケットエンジンを搭載した戦闘機Me163コメート。ややずんぐりとした独特な姿は、今見ても斬新だ。当時の一般的な戦闘機より200km/hほど速く飛ぶので、あまりにも速度差がありすぎてかえって敵機を狙いづらかった、という話も聞く。写真でしか見たことがなく、いつか実物を見てみたいと焦がれていたこの2機に、今日やっと会うことができたのだった。なんと美しくカッコイイのだろう、と様々な角度から写真を撮る。戦争で使う兵器を美しいとかカッコイイとか嫌ねぇヒソヒソ…と眉をひそめる方もいるだろうけれど、何の予備知識も持たずに例えばずんぐりしたMe163を女性に見せたらわりと高い確率でキャーカワイーとはしゃぎ、富豪に見せたら2人に1人くらいはキミこれはなかなかいいじゃないか一つくれたまえと懐から札束を出すのではないだろうか。どんな目的で作られようと、美しいものは美しく、カッコイイものはカッコイイのだ。実機の迫力、質感をしっかりと味わってから、博物館を後にした。
 あとはミュンヘンの街を散策しつつ、晩ごはんの場所を探す。探すといっても、さてどこで食べようかというのではなく、またツマが「マリエンプラッツ近くのニュルンベルガー・ブラートヴルスト・グレックル・アム・ドムでニュルンベルガー・ブラートヴルストを食べるのだ」と呪文のようなことを言い出したので、なるほどあとはマリエンプラッツまで行き、ニュルンベルガー・ブラートヴルスト・グレックル・アム・ドムという店を見つけるだけなのだな、とそれに従う。それにしても、なぜミュンヘンに来たのにニュルンベルク名物のニュルンベルガー・ブラートヴルストをマリエンプラッツ近くのニュルンベルガー・ブラートヴルスト・グレックル・アム・ドムで食べなければならないのか、どうしてもニュルンベルガー・ブラートヴルスト・グレックル・アム・ドムでなければいけないのか、と思ったけれど、ミュンヘン名物はもういくつか食べてしまったのでそれもまた良かろう、とツマに同意したのだった。
 店はすぐに見つかった。席に案内された僕らは、その活気ある店内の様子に高揚し、まずはビールビール!それからヴルストヴルスト!と立て続けに注文する。この活気の中では、まずは飲み物を注文してゆっくりと食べ物を決め…などとドイツ流を気取っている場合ではないのだ。炭火で焼かれたヴルストは、小さいけれど豚の旨みがぎゅうっと詰まっていて旨い旨い。さらにビールはアウグスティーナというミュンヘンで最も古い醸造所のもので、季節限定のオクトーバーフェストビアもある。これは樽から直接注がれるので大変趣がある。そして当然のようにさっぱりすっきりとしていて当然のように旨い。ウェイトレスの動きがテキパキとしていて、ビールのおかわりもスパッと提供される。何もかもがベストなのだ。本当に気持ちよく飲み食いできた。
 ホテルに戻った僕は、キーを受け取るときにちょっとしたサプライズを仕掛けることにした。前にも書いたとおり、僕は海外に行くとき、簡単な挨拶と数字くらいは覚えるようにしている。キーを受け取るときの部屋番号を、英語ではなくドイツ語で言ってみようと思い立ったのだった。
 ドイツ語の数字は、日本語や英語と少し違っていて、たとえば43だったら「3と40」と言い方が逆になるのだ。これだけならまだいいのだけれど、「324」となると「300、4と20」と行ったり来たりになってしまい、たいへんややこしい。しかし僕らの部屋は運良く43号室だった。なんとなくホテルの部屋番号というのは1桁ないし2桁の階数+2桁の番号と決まっているように思えたけれど、このホテルでは全部合わせて2桁ですむのだ。2桁ならいける!と僕はフロントの女性の正面に立つ。コホン、とひとつ咳払いをし、ぎん、と女性を睨みつける。なんだなんだ、このアジア人はこれからいったい何をしでかそうというのか、と戸惑う彼女に、僕は「どらいうんとふぃあつぃひ!」と告げたのだった。その瞬間彼女の目は丸く、眼球がポロンと落ちてしまいそうなほど見開かれた。そして「パーフェクト…!」と言い、43号室のキーを手渡してくれたのだった。ドイツ人も、どうやら我々の数の数え方はなんだか少しおかしいらしいぞと薄々勘づいているらしく、遠い異国の地から来たアジア人がまさかドイツ語で部屋番号を言ってくるとは…!と驚いたようだった。僕も日本国内で外国人がカタコトながら日本語を使ってくれると嬉しいが、やはり彼らもそうなのだろう。サンキューと言われるよりアリガートゴザマァスと言われた方が数倍嬉しいのだ。
 ドイツ語というのは、なんだかいい。フランス語のように発音すること自体が難しい、ということもなくカタカナ発音で間に合うし、ふだん聞き慣れていないから新鮮に感じる。またちょっとした単語がいちいち必殺技のようにかっこいいじゃないか。「パンに挟んだ焼きウインナー」というとただ単にウインナーを焼いてパンに挟んだだけだけれど、「ブラートヴルスト・ミットブロート!」と叫ぶとたぶん5〜6人は薙ぎ倒せるんじゃないだろうか。しかし何度も必殺技「ブラートヴルスト・ミットブロート!」を繰り出していると相手も研究しついにはひらりと避けられてしまう。そうしたらこちらもさらに特訓を重ね、新たな必殺技「ブラートヴルスト・ミットブロート・ウントゼンフ!!」を編み出すのだ。ちなみにこの新必殺技は、旧必殺技「ブラートヴルスト・ミットブロート」にマスタードを追加したものだ。奴らはひとたまりもあるまい。
 キーを手に入れた僕は、部屋の窓から外を眺める。そこはなんでもない街の風景なのだけれど、決して異国の地ではない、と感じた。なにしろ今僕の手には、必殺ドライウントフィアツィヒ!で手に入れたキーがあるのだ。
 旅行というのはいつもそうだけれど、やっとこの地に馴染んできたなというところで最終日を迎える。そう、明日の夜にはドイツを発たなければならないのだ。帰りたくないなあ。


もくじ
第 1話 1日目@ 松戸駅からバスで帰ってくるのとは訳が違うのだぞ
第 2話 1日目A イメージ的にそういう音がした方が格好いいのだ
第 3話 1日目B あなたが生まれ育ったマインツは雨が降って最悪な街ですね
第 4話 2日目@ なんだかんだと言い訳をしてビールを飲まないつもりなのだ
第 5話 2日目A 特にそのためにドイツに来たわけではないですよ
第 6話 3日目@ 文句があるなら理事長も一度食べてごらんなさい
第 7話 3日目A 隣にアジア人が座っていても動じないのだ
第 8話 4日目  スパーンと抜かれたりするのだった
第 9話 5日目  やれやれ仕方ない、と最も高いワインを注文する
第10話 6日目  恐ろしいからその店には行かない!
第11話 7日目  あらまあロマンチックねえと言いたくなる気持ちはわかる
第12話 8日目  たぶん5〜6人は薙ぎ倒せるんじゃないだろうか
第13話 最終日  あなたが表示されたので大変困っています