第1話 プロローグ・赤い大陸


 「そのクツ...もともとそうだった?」
 エフがそう話しかけてきたのは、成田空港のエスカレーターを上っているときだった。何のことだろうと左足のかかとを見ると、靴底が剥がれてプラプラしている。もともとそうだった?って、もともとこうだったはずないだろう。
 これは何かの前触れだろうか?
 何かの予感とか前触れとか、そういうものはありがたい。ちょっとした予感に助けられた経験は誰にでもあるだろう。けれど、よりによって靴底が剥がれるなどという、地味で気づきにくくてそのくせ一旦気づいてしまうと不快で歩くにも気疲れしてしまうような現象として現れなくたっていいじゃないか。僕は 、今回の旅がどうにも不安になってしまった。

 2005年5月4日。この日、僕はエフとともに2度目のオーストラリア旅行でゴールドコーストに向かっていた。ちょうど1ヶ月前、インターネットで見つけた安いパックでの旅行だった。3泊5日、宿泊と往復の航空券がセットになって6万円だから、ちょっとした国内旅行と変わらない。どういう仕組みになっているのかわからないが、ゴールドコーストで3泊といったら、6万円では宿泊費すらギリギリ払えるかどうかというくらいの金額だ。安い安い、安いけれどももう売り切れてるよね、と思いながら予約のメールを送ると、あっさり予約できてしまった。
 前回オーストラリアを訪れたのは8年前、1997年のことだった。そのときはケアンズに滞在し、海だ山だコアラだカンガルーだブーメランだと大いにはしゃいだ。つまりは、オーストラリアっていい国だなぁ、と本気で惚れてしまったのだった。

 そんなわけで反射的にゴールドコーストに行くことを決めてしまったものの、出発までの1ヶ月間、具体的な予定は何も立たなかった。もちろん旅行は楽しみだったけれど、なんだか実感がわかないうちにあっというまに1ヶ月が経ってしまったのだった。とりあえず図書館からガイドブックを借りてきて、ぱらぱらとめくってみたが、どうにもピンとこない。だから、出発直前まで、僕とエフとの間では「ところでゴールドコーストって何があるの?」なんて会話が交わされていた。
 往きの便は、21時35分発のJL761便ブリスベン行きだった。
 僕らは早めに成田に向かい、そこで軽く夕ごはんを食べ、その後、ゴールドコーストでの過ごし方を検討することにしていた。
 GW真っ最中だというのに、空港は思いのほか空いていた。GWとはいえ、カレンダー上では3連休の真ん中なので、こんなものなのだろう。僕らはとりあえずチェックインを済ませた。どの席がいいかと尋ねられ、どっちでもいいけどじゃぁ窓側と答えてしまった。その後、8時間半のフライトなのだから通路側がいいんじゃないかと思いなおし、再びチェックインカウンタに行って通路側に変えてもらった。
 成田を発ってすぐに晩ごはんが出るので、夕ごはんはスタバのマフィンで済ませた。コーヒーをちびちびと飲みながら、ガイドブックを開いて明日からの予定を組むことにした。こんなことは出発前に済ませておくべきだとは思うが、出発当日の空港で出発時刻を待ちながら予定を立てるなんて、いかにも僕ららしいのでこれでいいと思う。

 とにかく、予定は以下のように決まった。
 1日目。到着したらレンタカーを借り、ホテルの駐車場に止めたらサーファーズ・パラダイスの街を散策、街の雰囲気を楽しむ。夜になったら、カランビン・ワイルドライフ・サンクチュアリのナイトツアーに参加する。
 ガイドブックによるとナイトツアーは$49となっているが、どこで予約できるか、などはまったくわからなかった。
 2日目。ラミントン国立公園に行き、グリーンマウンテンズでのんびりと過ごす。夜になったらスプリングブルック国立公園に行き、土ボタルを鑑賞。土ボタル鑑賞ツアーというものもあるらしいが、送迎付きで$140もかかってしまう。国立公園へは無料で入れるので、レンタカーで行けばかなり安上がりだ。
 3日目。オーストラリア大陸最東端のバイロンベイにアタック。夕方までにゴールドコーストに帰ってきて、再び街を散策した後、翌日早朝の出発まで仮眠。

 夕食を食べ終えたが、まだまだまだまだ時間が余っている。僕らは、展望デッキで飛行機を眺めたりして時間をつぶした。
 それにしても、底の剥がれた靴がこんなに心許ないものだとは思わなかった。僕は常に靴底を気にしながら歩かなければならなかった。