第3話:1日目A・斑色の街


 いったんホテルに戻って車を駐車場に置き、ゴールドコーストの中心地、サーファーズ・パラダイスの街に出た。ホテルから出たときには激しい雨が降っていたけれど、ほんの数分できっかりすっぱりと止んでしまった。おお我々は歓迎されているぞ...と、ややニヤケつつ街を練り歩いた。サーファーズ・パラダイスは、ホテルの前を通るハイウェイから1本奥の道を中心に広がっており、カフェや土産店、ショッピングセンターなどがぎゅぎゅっと並んでいる。砂浜まで1ブロックほどなので夏であればたいへんな活気なのだろうけれど、いまはそれほどでもなく、適度なにぎわいだった。時刻は午後1時をまわっており、腹が減っていたが軽い食べ物が見つからない。夜はカランビン・ワイルドライフ・サンクチュアリのナイトツアーに行く予定なので、その前に晩ごはんを済ませたい。となると、昼ご飯はかなり軽めにしておかないと夜食べられなくなってしまう。
 とりあえずあたりを一回りしようと、砂浜の方に行ってみた。
 風は冷たく、時折ぱらぱらと小雨が降ってくる。ざざんざざんと波が打ち寄せる砂浜には数人の物好きもしくはせっかくゴールドコーストまで来たんだからなにがなんでも海に入るんだ入るんだという頑固者しかいない。監視員は、この寒いのに海になんか入るなよちくしょうめ、波にさらわれたら助けてやるけど面倒かけるなよちくしょうめ、とかなりヤケ気味に海を眺めていた。
 サーファーズ・パラダイスは大変狭く、あっというまにブロックを一周して元の場所に戻ってきた。なんだかつまらない街である。ケバブ屋を見つけ、軽めのランチにちょうどいいかと思ったが、実はこれがもう巨大で、客は両手で小さな枕くらいのケバブをずどんと持って、むっしむっしと一心不乱にかぶりついている。とてもじゃないがそんなに食えないので途方に暮れてしまった。なぜ飽食の時代に飽食の国に来ているのにこんなに腹を空かせているのだろうと思うと悲しくなり、よよと泣き崩れそうになったが、角を曲がったところにピザ屋を見つけた。1カットずつ切り売りしていて値段も$2.80と手頃なので、これを昼ご飯とした。けれど一緒に買った缶ジュースが1本$2もする。日本だったらビールが買える値段で、全体的にこちらでは手作り品は安いが既製品は高い傾向にあるらしい。ピザの味と量はまあまあで、のんびり街を眺めながら食べた。あまり外国に来たという実感が湧かないが、これはこの町が混沌ごちゃまぜ無国籍風だからだろう。
 僕らは、この街にいてもあまりおもしろくなかったので、車で少し離れたハーバータウンの町にある大きめのショッピングセンターに行くことにした。いま15時だから、ショッピングセンターで買い物をし、簡単に食事を済ませてからワイルドライフ・サンクチュアリに行けばちょうどいい。

 ホテルの部屋に入ると、電話が鳴った。なんだか見張られていたようなタイミングだ。しかし、誰が何の用だというのだ。僕はおそるおそる電話に出た。
 電話をかけてきたのはカランビン・ワイルドライフ・サンクチュアリのスタッフだという女性だった。電話というのは相手の表情や仕草が読み取れず、完全に耳だけで内容を聞き取らなければならないから、外国で電話を受けるときは非常に緊張する。しかし、彼女の話が非常によく聞き取れるので、一瞬、なんだなんだこれはどうしたことだと喜びつつも戸惑ったが、彼女は日本人スタッフで、日本語で話していたのだった。
 曰く、今日は天気が悪いので最少催行人数に達しないからナイトツアーは中止になった、とのことだった。もしまだゴールドコーストに滞在するのであれば、明日に振り替えるがどうか、という。僕らとしても、時おり雨がぱらついている今日よりも明日のほうがありがたいのでそうしてもらった。電話を切ってからエフに説明すると、エフは本当に雨のせいで中止になったのか、実はたとえ晴れていても人が集まらないのじゃないか、と疑っていた。もっともである。
 夜の予定が崩れてしまったので、急遽作戦を練り直さなければならなくなった。とはいえ、夜行けるところといったらそれほど選択肢はない。僕らは、今夜中に2日目に行く予定だったスプリングブルック国立公園に行き、土ボタルを見に行くことにした。オプショナルツアーを使わないというのは、こういうときに融通が利いて便利だ。
 うまい具合に、さっき行こうとしていたハーバータウン・ショッピングセンターは、少しだけ遠回りになるが、ここからスプリングブルックに行くまでの途中にあった。僕らは懐中電灯やフリースのジャケットを持ち、出発した。

 ハーバータウン・ショッピングセンターに着いたが、どんな店があるか全くわからない。日本人の姿はほとんど見かけず、どちらかというと地元向けのショッピングセンターのようだ。とにかく、底の剥がれた靴を買い換えようと、靴を売っていそうな店を回った。
 ガイドブックには「買い物好きなら一日中楽しめるかも」と書いてあったが、僕もエフも特に買い物好きではないので一日中楽しめそうもない。しかし、両手に紙袋をこれでもかこれでもかとぶら下げた日本人女性2人組を見かけたので、そういう楽しみ方も確かにできるのだろう。
 何軒かの店を回ったが、気に入った靴が見つからなかった。どんなにせっぱ詰まっていても、靴に関しては妥協してはいけないのだ。そのうち急速に日が傾いてきて、そろそろスプリングブルックに向かおうということになった。僕らは二手に分かれ、僕はスーパーで明日の朝ごはん用の(巨大な)マフィンを、エフはパン屋で今日の軽い夕食用の(よくわからないぐちゃぐちゃの)パンを買った。エフは僕と違ってチャレンジャーで、なんだか妙なものを選ぶことが多い。
 時刻は17時半をまわっていた。ここからスプリングブルックまでは1時間ほどかかるので、土ボタル鑑賞にはちょうどいい時間だろう。

 スプリングブルックまでは、迷うことはなかった。ハーバータウン・ショッピングセンターのある交差点から西に向かい、あとは大きな道を案内板に従って行けばいい。市街地ではわりと車が多かったが、街を外れると急激に道路はがら空きになった。山に入ると速度制限が80キロとなったが、どの車も、びっくりするくらい律儀に速度制限を守っている。それはどうやら速度取り締まりが厳しいからでなく、速度制限標識が「これ以上スピード出したら死ぬかんね」という警告になっているからであるようだった。実際、かなり細い道でも80キロ制限となっていたし、カーブ手前ではきめ細かく速度の上限が指示されていた。日本のように「これ以上出してはいけませんよ」と押さえつけようとすると反発する者も多いが、こちらのように本当の限界速度を示されてしまうと従わなければならないというか、従っていれば安全だとわかるので安心して道を走ることができる。
 まるでWRCのように派手なドリフトを繰り返しながら山道を駆け上り、18時半に国立公園内のナチュラルブリッジに着いた。もうあたりは真っ暗、駐車場には数台の車が止まっているだけだった。